宗教に物質的利益を求めるなかれ

私の両親はある新興宗教の信者だ。幼いころからその集まりに参加させられたり、題目を唱えさせられたりしていた。

母が特に熱心で幼い時、私が題目を唱えるのを面倒臭がって嫌がると怒ってやらせるほどだった。泣いて嫌がったこともあった。

その宗教では定期的に信者が集まってそこで信仰の体験談などを話す。彼らは得られた成果や物は信仰のおかげであると話すのである。

例えば熱心に信仰したおかげで難関の資格試験に合格しましたと言った人がいた。その人は祈りを捧げるのに多くの時間を費やしたのだろうが、その時間で勉強すればいいのではないか。

皆、ワンパターンでこの宗教に入っていかに良いことがあったのかという話をする。退屈だし楽観的過ぎる雰囲気に私はついていけなかった。

私は以前、とても欲しいものが手に入るように何度も熱心に祈っていた時期がある。当然だが祈っているだけでそれは手に入らなかった。

結局のところ欲しいものは行動しないと手に入らないのだ。

宗教で欲しいものが手に入るという話は勘違いか詐欺のどちらかである。熱心に信仰して成功した人だけが我々の目に入り、失敗した人は表舞台には出てこない。

昔は失敗した人が注目を浴びることはなかっただろうが今は誰でもインターネットで発言できるようになった。そのため宗教側は都合よく成功した人だけに注目させることが難しくなっている。これから宗教に期待を抱く人は減り、信者の数は減っていくだろう。

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